「先生」と呼ばれることへの違和感と腑に落ちた瞬間

憲法9条の碑  (石垣島)

こんにちは、いそべ行政書士事務所のいそたくです
GWの真っ只中をいかがお過ごしでしょうか?
朝ドラのタイトルのような季節を大切に過ごしたいですね

昨日、私は参政党の『プロジェクト600』を聴講してまいりました
学生時代を東大の舛添先生や明大の栗本先生のような人気教授が
朝まで激論を交わしたディベートの隆盛期を過ごしてきた経緯から
政治については無関心ではいられないという思いをずっと抱えてきましたが
先の参議院選挙で杉本純子候補に思いを託した53万票のうちのひとりとして
杉本議員が現場でどのように活動されているのか…
その姿を自分の目で確かめたいという気持ちもありました


杉本議員のお話の中で最も印象に残った予期せぬ言葉がこれです

「わが党では“先生”と呼ばない」

一年ほど前に愛知県行政書士会へ正式に入会したとき
私自身が最初に戸惑ったのもこの“先生”という呼称でした
行政書士の世界では互いを“先生”と呼び合う文化があります
もちろん敬意の表れであり長く続いてきた慣習でもあります
平たく言えば士業の世界でのごく当たり前の表現なのでしょう
昨年参加した異業種交流会でもふつうに先生方が使われていました

しかしながら一般社会で生きてきた私のような人間が
突然“先生”と呼ばれるとどうにもこうにも落ち着かない
いやいや、そんな立派な者ではないのに…心のどこかでむずがゆさを覚えていました

昨日のお話の中で杉本議員は
「“先生”という言葉は、相手を上に置くことで自分を守るために使われることもある」
と述べられていました

その瞬間胸のつかえがすーっと取れたのです
ああ、だから私は違和感を覚えていたのか、と

私は専門家としての誇りは持ちつつも 肩書きよりも人として向き合うことを大切にしたい
そう思って行政書士の仕事を続けてきました
今日の言葉はその感覚をそっと肯定してくれたように感じています

さて本日は憲法記念日です
このタイミングで昨日の学びと重ねながら少しだけ触れておきたいと思います

📜日本国憲法はGHQの関与のもとで作られたという歴史的事実があります
しかし同時にその内容の多くが日本人にとって素晴らしいと受け止められたことも
また事実として語られています
その結果として外から与えられたものなのに、内容は誇れるものというある種のねじれが生まれました

そして現在、憲法改正をめぐる議論は

  • 絶対に触れてはならないとする立場
  • 個人の権利を後退させてでも改正すべきとする立場

    というように極端な二つの方向に分かれがちです

本来であれば憲法は私たち一人ひとりの生活の土台であり
「どう生きたいか」「どんな社会を望むか」を静かに考えるためのものですが
こうして議論が二極化するとその静かな思考が置き去りにされてしまうでしょう

その点で独自に憲法草案を作成している政党があるという事実には
純粋に学ぶべきところがあると感じました
ほんとうによく推敲されていると思いますので一読してみてはいかがでしょうか

以前にも記していますが私は高市総理のファンではありますが
特定政党の支持者というわけではありません
だからこそどの立場であれ自分たちの考える国家像を言葉にし草案という形で示す姿勢には
率直に学びたいと思ったのです
賛成・反対の前に「自分ならどう考えるか」「どんな社会を望むのか」
言語化しようとする姿勢そのものがいまの日本にとって大切な営みではないかと感じています

昨日の学びを通して私は「先生」と呼ばれる前に
一人の市民であり、一人の生活者であり、一人の人間ですから
制度や法律を扱う行政書士として現場で感じた違和感や気づきをこうして言葉にしていきたい

憲法記念日にどうかみなさんもほんの少しだけ自分にとって憲法とは何か
そんなことを静かに思い返す時間を持っていただければ嬉しく思います

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次